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Your search : [ author:写真 秋泉] Total 3400 Search Results,Processed in 0.098 second(s)
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1. お茶っぎ給仕は“博士”さん絶賛浴びる父ゆずりの妙技
中国は、もともと「お茶のふるさと」、茶の木の原産地として知られており、世界で最も早く茶の木を発見しその葉を飲用に使い始めた国である。茶はのどを潤すばかりでなく気を静め、視力を整え、病気を払うなど、健康飲料として愛用されてきた。中国人は昔からお茶を飲む習慣をもち、三国時代には庶民の風俗となっていて、魏晋南北朝時代に役人や文人·風流人たちの愛好するところとなり、唐の時代はもっと盛んになって、以後宋、元
Author: 写真 秋泉 Year 1994 Issue 4 PDF HTML
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2. 競売で活気づく美術品市場巨匠の中国画が人気の的に
経済発展のスピードアップにつれて人びとの収入も増し、日常生活の中で優雅に美術品を楽しむ人は少なくない。加えて、中国の名画が国際市場でしばしば競売の新記録をつくったこともあり、国内の美術品市場は一段と活気を呈してきた。美術品の競売は、市場競争の盛んな西欧諸国では数百年の歴史をもち、その公開競売も国際的な売買方式として行われている。中国でも、公開かつ公正な競争に基づく取引の原則も定着してきてようやく活
Author: 写真 秋泉 Year 1994 Issue 7 PDF HTML
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3. 生きがいのある老後を 夕焼けプロジェクト本格化
「人生七十古来稀なり」の感慨は過去のものとなった。中国人の平均予測寺命は七十歳に達し、発展途上国の中でも上位にある。中国には今一億人の高齢者がいて、その扶養は全社会的問題になっている。人口の急激な老化は、労働力資源の老化と不足を招き、労働の生産性にも影響する。中国老齢科学研究センターの調査によれば、二〇〇〇年には老齢化問題が社会の大問題になるので、老人の社会保障システムを整備することは焦眉の問題で
Author: 写真 秋 泉 Year 1994 Issue 10 PDF HTML
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4. 北京市秀水街に代る雅宝路市場のにぎわい
六年前まで、北京に衣料品の商いにくる外国人のお目当ては、秀水街だった。しかし、最近では、雅宝路が秀水街に取って代わる勢いである。雅宝路は第二環状道路が建国門と交わる所のやや北にある。狭い道路の左右に小さな店が軒を連ね、店の外まで色とりどりの衣類がぶら下がる中を行き交う買い物客の中には、金髪の外人も多い。北京のお年寄りは、ここは縁起がいい場所だという。一九八八年に北京市がここに衣料市場を作ることを決
Author: 写真 秋泉 Year 1995 Issue 3 PDF HTML
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5. 蓬萊閣
この世の仙境と言われる蓬萊は、渤海と黄海の交り合う海辺、山東省蓬萊県の丹崖山の頂にある。海上の三つの仙境、蓬萊、方丈、瀛州は昔から、神仙がいて山上には不老長寿の薬があると言い伝えられた。史書には、秦の始皇帝と漢の武帝が神仙と薬を探してみずから訪れたと記されている。有名な「徐福、神仙をたずねる」「八仙人、海を渡る」の物語は、いずれもここが舞台なのだ。蓬萊閣は海沿いの丹崖山上に高くそびえ、前には松や柏
Author: 写真·姜景余 文·秋泉 Year 1994 Issue 6 PDF HTML
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6. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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7. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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8. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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9. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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10. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML