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Your search : [ author:写真 李樹忠] Total 3400 Search Results,Processed in 0.098 second(s)
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1. どうかご安心ください親子ともども健康そのものです
写真右は、ワオキツネザルの親子。写真左は、フラミンゴの親子。どちらも、母子ともに健康ですから、日本のみなさん、どうかご安心のほど。実は、ワオキツネザルもフラミンゴも、日本から北京動物園にプレゼントされたものなのです。中国と日本の国交が正常化されてから、中日両国の動物園の間で、中国からはジャイアント·バンダやイボハナザル、日本からはキリンやニホンカモシカなど、たくさんの動物が交換されてきました。北京
Author: 写真 李樹忠 Year 1988 Issue 12 PDF HTML
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2. 「託児所」ですくすく育つ赤ちゃん北京動物園幼獣哺育室
「お初にお目にかかります。ボク、赤ちゃんパンダのチョンチョン(?)。母さんが、えこひいきして、ふたごのふたり(?)きょうだいのぼくのほうにはお乳をくれなかったんです。それでね、飼育係のおじさんおばさんに育てていただいて、ほら、こんなに大きくなったでしょ。もうすぐ、哺育室からお外に出て、パンダ館で、みなさんとお会いできるんです。どうぞよろしく」生まれた時には二三五グラムしかなかったチョンチョンですが
Author: 写真 李樹忠 Year 1989 Issue 9 PDF HTML
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3. 「麗達」に七匹の赤ちゃん 北京動物園の人気者に
「パンダ館」で有名な北京動物園には、もう一カ所、どうしてもご覧になってほしい“名所”があります。正門からみて東北の位置にある「獅虎山」。獅子と虎の山、つまり、ライオンとトラの檻(おり)なのですが、円形につくられた広い檻は、中央の石づくりの山をへだてて木や草の繁茂する動物たちの運動場になっているのです。今、「獅虎山」の人気者と言ったら、かわいらしい七匹の子トラ。天気のよい日には、母さんトラといっしょ
Author: 写真 李樹忠 Year 1990 Issue 10 PDF HTML
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4. クマの献血でパンダ助かる北京動物園の緊急作戦成功
北京動物園のパンダ「永亮(ユンリャン)」君(二つ)が一月十八日、突然病気になり全身が震え、からだの一部が動かなくなってしまった。世界で初めて人工保育に成功したパンダとあって、動物園の園長はじめ職員たちは大変気をもんだ。診察の結果貧血と分かり、入院して治療を受けたところ、震えも止まり前足も持ち上げられるようになって一安心。しかし二月十三日になってまた病情が悪化し、白血球が一万八〇から一五〇〇に減り、
Author: 写真 李樹忠 Year 1995 Issue 7 PDF HTML
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5. 霊長類一の器量よし、キンシザル北京動物園に世界初のお目見え
霊長動物の中で中国のキンシザルはいちばん器量よしである。動物学の専門家が二百種近くを比較、検討したことがあったが、キンシザルの右に出るものは一種もなかった。中国には三種類のキンシザルが生息している。そのうち雲南省北部の標高の高い寒冷地にすむ雲南キンシザルは、地元では雪ザルとか黒ザルとかと呼ばれている。子どものとき全身が真っ白なためだろう。大人になると、胸、腹、四肢の内側とおしりは白いままだが、その
Author: 写真 李樹忠 Year 1995 Issue 8 PDF HTML
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6. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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7. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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8. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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9. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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10. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML