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Your search : [ author:写真 周重要] Total 3400 Search Results,Processed in 0.096 second(s)
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1. 珍獣 キンシコウに亜種 “絶滅”した「滇金糸猴」を発見
ジャイアント·パンダとならぶ世界的な珍獣、キンシコウ(金糸猴)に、これまで絶滅したと思われていた亜種「滇(てん)金糸猴」がみつかり、中国の動物学者の目をみはらせました。キンシコウの和名は、イボハナザル。顔の真ん中に、ちょこんとついた鼻の先が、イボのようにとがっているために付けられた名前ですが、中国語の「金糸猴」は、文字どおり金の糸のような毛をもつサルの意。木もれ日を浴びて枝から枝へと跳ぶキンシコウ
Author: 写真 周重要 Year 1987 Issue 8 PDF HTML
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2. 被害の大きかった雲南の地震“メルヘンの世界”に“異変”
雲南省の瀾滄ラフ族自治県、耿馬ダイ族ワ族自治県は中国南西部の風光明媚なところ。山水の美しさだけでなく、人びとは素朴で人情味あふれる。感動的な神話や伝説が数多く残る“メルヘンの世界”だ。この地が突然、大地震に襲われた。昨年十一月六日。夜九時三分と同十六分の二回にわたり、マグニチュード七·六、七·二の地震が発生。両県ではほとんどの家屋が倒壊し、死傷者も多数出た。被害は周辺の他の十四県までおよんだ。余震
Author: 写真 周重要 Year 1989 Issue 3 PDF HTML
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3. 麻薬の取り締まりを強化アヘンなど一トンを焼却処分
麻薬問題はいま、世界の大きな関心を集めているが、中国でも麻薬撲滅運動が本格化してきた。経済が発展し、改革·開放政策が進行する中、麻薬の密輸·密売は跡を絶たず、それに伴って麻薬汚染は広がりを見せ、すでに中国西南部の辺境地区では何人かの麻薬中毒患者が確認されている。解放前、中国のアヘン吸飲者は二千万人とも言われ、中国人は長い間アヘンに苦しめられてきた。一九四九年の新中国建国後、「旧社会の腐敗現象」とし
Author: 写真 周重要 Year 1990 Issue 12 PDF HTML
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4. 麻薬中毒患者に救いの神 中西医結合の新治療法を開発
雲南省開遠市の五十九病院が、中·西医学を結合した麻薬中毒のスピード治療法を開発、二百余人がたちなおった。治療に有効な薬草は、大部分が雲南省南部の山岳地帯でとれる。雲南省は麻薬基地ゴールデントライアングルと隣りあわせのため、ここ何年間かで数万人の中毒患者がでている所だ。麻薬中毒治療でもっともむずかしいのは、回復過程でおきる禁断症状にどう耐えるかである。発汗、はき気、不安、痛み、精神錯乱などのため、途
Author: 写真 周重要 Year 1991 Issue 11 PDF HTML
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5. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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6. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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7. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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8. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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9. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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10. つごう二百余名が一堂に。栄家一族、めでたく“大団円”。
エコノミストならずとも、中国経済に関心ある方なら、ご存知でしょう。栄毅仁(ロンイーレンー)氏。一九五〇年代に、「紅色老板」(赤い資本家)の異名(えいきじん)までとった、中国経済界の“立て役者”です。栄家一族は、今世紀のはじめ、父親の代に、四つの石臼から製粉業を興し、三〇年代には、故郷の無錫をはじめ、上海、済南などに、製粉、紡績、機械などの工場をもつ、中国有数の民族資本をうちたてました。一九四九年、
Author: 写真 李平 Year 1986 Issue 10 PDF HTML