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Your search : [ author:写真 呉増祥] Total 3400 Search Results,Processed in 0.080 second(s)
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1. 身障者に医学部の門戸開放山東省濱州医学院の試み成功
中国にはおよそ五千万人ほどの身体障害者がいるが、彼らの才能をいかに発揮させるか、また彼らの生活環境の改善が、政府の重要な教育政策の一つになっているのが現実だ。統計によると、特殊学校は全国で六百七十二校、普通学校が設置している特殊学級は、全国で千八百八十五クラス。普通学校の身障者募集人数は年々増え続けてはいるが、高等教育ではまだまだだ。こうした中、大学の医学部が身障者募集をしているのが、山東省の濱州
Author: 写真 呉増祥 Year 1991 Issue 6 PDF HTML
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2. 白血病に新療法臍帯血の造血細胞を移植
骨髄移植によらず、臍帯血の中の造血細胞を使って、中、晩期ガン、白血病、再生不良性貧血などが治療できるようになった。これは山東医科大学付属病院の、低温医学骨髄移植研究室がはじめたもので、沈柏均助教授が指導する試験室では、すでに四歳から十七歳までの患者十一人に、臍帯血の造血細胞移植術をして、すべて成功している。目下、世界で行われている骨髄移植は、骨髄組織の型が適合するかどうかが問題で、きょうだいの間で
Author: 写真 呉増祥 Year 1993 Issue 4 PDF HTML
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3. 初の私立日本語学校 きっかけは元日本兵の報恩から
中国で初めての私立日本語学校を、二校も設立した人がいる。その名を許景義さんという。話は一九四五年にさかのぼる。鴨緑江をはさんで朝鮮の新義州と向かい合った丹東で、一九四五年八月、畑野修平という日本兵が重傷で苦しんでいたが、于維沢という農民に助けられ、一命をとりとめた。九カ月後、畑野さんは日本に帰ったが、于さんの恩を忘れたことはなかった。一九七九年八月、日本から訪中した日本海四県経済貿易代表団の中に、
Author: 写真 呉増祥 Year 1993 Issue 6 PDF HTML
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4. よみがえった古代の調べ
二千年以上も地中深く埋まっていた楽器は、どんな音を出すのだろう。さまざまな古代の楽器のオーケストラは、妙(たえ)なる調べを奏でるだろうか。中国山東省でこのほど出土した数百点もの楽器による特別演奏会が、山東テレビ局で、三日間にわたり催された。聴衆は驚きの声をあげた。古代の楽器たちは『蘇武牧羊』とか『茉莉花』(まつりか)といった中国の有名な歌曲の旋律をきちんと奏でたからである。しかし、この古楽器はもう
Author: 文·趙秋麗 胡思永 写真·呉増祥 Year 2001 Issue 7 PDF HTML
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5. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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6. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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7. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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8. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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9. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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10. つごう二百余名が一堂に。栄家一族、めでたく“大団円”。
エコノミストならずとも、中国経済に関心ある方なら、ご存知でしょう。栄毅仁(ロンイーレンー)氏。一九五〇年代に、「紅色老板」(赤い資本家)の異名(えいきじん)までとった、中国経済界の“立て役者”です。栄家一族は、今世紀のはじめ、父親の代に、四つの石臼から製粉業を興し、三〇年代には、故郷の無錫をはじめ、上海、済南などに、製粉、紡績、機械などの工場をもつ、中国有数の民族資本をうちたてました。一九四九年、
Author: 写真 李平 Year 1986 Issue 10 PDF HTML