Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:写真 劉恩泰] Total 3400 Search Results,Processed in 0.088 second(s)
-
1. クンシラン(君子蘭)にむらがる君子ならざる投機分子。長春市当局は取り締まりに本腰。
東北は吉林省の省都·長春市での出来事。生花市場に乗り付けた一台の高級乗用車から運び出されたのは鉢植えのクンシラン(君子蘭)。つややかな緑の葉が左右にひろがり、葉に包まれた花茎の先にはふくらみかけたつぼみが四十余はついている。たちまち黒山の人だかりがして賛嘆の声があちこちであがる。買値は天井知らず!クンシランの人気は、しかくすさまじい。「人に喜ばれたければクンシランを贈れ。金もうけしたければクンシラ
Author: 写真 劉恩泰 Year 1985 Issue 9 PDF HTML
-
2. 小数点以下11110位 円周率暗記で中国新記録
この写真の女性は、吉林市連合大学でコンピューターを教えている二十四歳の王立争さん。さる五月十七日、円周率を小数点以下一一一一〇位まで暗唱して中国新記録を達成、その誤差率もわずか〇·二一%に止まって、居並ぶ審査員たちをさらに喜ばせた。円周率の暗記は、人間の記憶力のテストと向上に最良の方法だとされている。中国の著名な橋梁学者·茅以昇さん(本誌八月号「この人と30分」の茅于燕さんの父)は小数点以下一〇〇
Author: 写真 劉恩泰 Year 1991 Issue 11 PDF HTML
-
3. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
-
4. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
-
5. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
-
6. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
-
7. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
-
8. つごう二百余名が一堂に。栄家一族、めでたく“大団円”。
エコノミストならずとも、中国経済に関心ある方なら、ご存知でしょう。栄毅仁(ロンイーレンー)氏。一九五〇年代に、「紅色老板」(赤い資本家)の異名(えいきじん)までとった、中国経済界の“立て役者”です。栄家一族は、今世紀のはじめ、父親の代に、四つの石臼から製粉業を興し、三〇年代には、故郷の無錫をはじめ、上海、済南などに、製粉、紡績、機械などの工場をもつ、中国有数の民族資本をうちたてました。一九四九年、
Author: 写真 李平 Year 1986 Issue 10 PDF HTML
-
9. サブちゃんの心配は無用。本場の演歌に湧いた満場の拍手。
昨年の十月四日。北京秋天。天安門広場。保母さんに連れられた幼稚園児にまじって、お一人、サングラスの“中年男”が北京の秋を“たんのう”している図。様(さま)にならない、って?いいえ、様になっております。この日、五十歳の誕生日をむかえた北島三郎さん、しばし童年にかえって、すぎこしかたを想いやっていらっしゃる。「そう、もう五十の坂ですものね。歌手生活二十五年。振りかえれば、短くもあり長くもあり……ですか
Author: 写真 馮進 Year 1987 Issue 1 PDF HTML
-
10. 北京で開かれた「核の脅威展」平和の貴さを訴えた被爆品の数々。
昨年は国際平和年だった。中国でもさまざまな活動や催しが行われたが、十月二十一日から三十日まで、北京の中国革命博物館で開催された「核の脅威展」(「核戦争の脅威と核エネルギーの平和利用展」)は、諸活動の最後をかざる意義深い催しとして、多くの人びとに強い印象をのこした。主催は、国連広報局と創価学会。広島·長崎両市、中日友好協会、国際平和年·中国組織委員会などの後援で、広島·長崎の被爆の実態が、写真パネル
Author: 写真 馮進 Year 1987 Issue 2 PDF HTML