Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:写真·馬暁旋 文·趙宏] Total 20 Search Results,Processed in 0.105 second(s)
-
1. 清·光緒款外紅釉裏三多碗
御用磁器とはもっぱら宮廷で用いられるために作られた磁器で、1300年前の唐代に始まったといわれる。宋代の著名な五大名窯(官窯、哥窯、鈞窯、定窯、汝窯)もすべて御用磁器をつくった。明·清代には宮廷のものは主に江西省の景徳鎮の御器廠で焼かれたが、需要の多いときには民間の窯も用いられた。故宮博物院には40万点近い磁器が収蔵されているが、その多くは歴代の宮廷の御用磁器である。その中の宮廷独特の器物は製作技
Author: 写真·馬暁旋 文·趙宏 Year 1997 Issue 3 PDF HTML
-
2. 明·徳化窯渡海観音立像
徳化窯は中国東南部の福建省徳化県にあり、宋、元の時代に始まり、明の時代に最盛期を迎えた。その白磁は材質と釉(うわぐすり)が渾然一体、白玉のようなつやを持ち、「象牙の白」「中国の白」などと呼ばれた。中でも一代の名人何朝宗の観音像は「東洋芸術の珠玉」と賛えられている。何朝宗は来観とも呼ばれ、明の嘉靖、万暦年間の徳化県隆泰郷の人である。彼の作品は高雅で、姿は真に迫り、衣装の線の流れは見事に描写され、世俗
Author: 文·王健華 写真·馬暁旋 Year 1995 Issue 12 PDF HTML
-
3. 明·永楽青花描金碗
中国の陶磁器の発展史上、青花磁器は民族の特色をよく表し、重要な地位を占めている。青花とは、一般にコバルトを使った紬で絵模様を描き、その後に透明な釉を施して焼く藍色の花模様の彩磁器を指す。色調は典雅で、水墨画の味わいを持ち、広く愛好されている。青花磁器は唐代に始まり、宋、元代に成熟し、明代の初期には磁器生産の主流になった。明の永楽年間(1403~24)の作品は、伝統に大胆な創造を加え、製磁技術も発展
Author: 文·王健花 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 1 PDF HTML
-
4. 清·象牙彫刻「海市蜃楼」景屏
野生動物保護が叫ばれる現在、象牙彫刻を中国で見ることは難しくなった。だが象牙彫刻は特殊工芸の一つとして中国では長い歴史を持っている。七千年以上前の浙江省·河姆渡遺跡と五千年以上前の山東省·大汶口遺跡からは、ともに象牙の器や彫刻が出土している。河南省安陽の商代の婦好墓から出土した「嵌松石獣面紋象牙杯」などを見ると、当時の工芸師の知恵と技術に感嘆せざるをえない。商代以後のもので、出土した象牙の彫刻や製
Author: 文·劉静 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 2 PDF HTML
-
5. 明·犀角弥勒仏
サイの角は中国の古代では貴重な薬の一つで、解熱·解毒などに効くとされた。当時、貴族たちはサイの角を杯に用い、角のわずかな各種の元素が酒に溶ける効果を期待した。明·清の時代には、大型の彫塑よりも、小さく工芸的な装飾品が盛んになり、宮廷貴族の間でサイの角の彫刻が一時の流行になった。サイの角の杯は形や表面の模様が多様で数も多いが、人物を彫ったものは極めて少ない。ここに紹介するのは、アフリカのサイの角を彫
Author: 文·劉静 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 3 PDF HTML
-
6. 宋、清·紫檀盒套装蓮花白玉魚(紫檀の器に納めた宋と清代の玉製の魚と蓮)
中国では七千年以上も前から、天然の玉で道具や装飾品を作っていた。飾りには水に住む動物を扱ったものが多く、中でも玉製の魚(以下、中国風に玉魚と記す)が目立つ。玉魚は約三千年前の商·周代にも見られ、古代の重要な服飾品だった。河南省安陽市にある商代中晩期の「婦好」墓からも大量に出土している。玉魚が大いに流行したのは、宋から清代にかけてである。中国語では「魚」と「余」が同じユィという音なので、魚が「余裕が
Author: 文·楊捷 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 4 PDF HTML
-
7. 明·竹刻松樹羅漢
竹刻は竹の製品に人物、山水、図案、模様などを彫った一種の彫刻芸術である。起源は中国の奴隷社会にまでさかのぼるが、考古学的な発掘では、朽ちやすい竹という材質のため発見されることは稀である。古い時期のものとしては、湖南省長沙の馬王堆前漢墓から出た竜紋を彫った彩色の竹の杓がある。竹刻には浮き彫り、透し彫り、陰彫、陽彫、線彫り、丸彫りなどの手法があり、一種の専門芸術となったのは、明代からである。明、清の時
Author: 文·劉静 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 5 PDF HTML
-
8. 清·珊瑚朝珠
清の王朝は1649年の建国後も、満州族の伝統的服飾を守り、明の宮廷の服飾とは大きく変わった。清の皇帝、皇后と、王公大臣、文官五品、武官四品以上の官位の者は、朝廷での服装には朝珠と呼ばれる首飾りを胸まで下げねばならなかった。国子監のような一部の位の者は、重要な儀式に限ってつけることを許されるだけで、まして一般の民衆は決してつけてはならなかった。清代の礼式の規定では、どのような種類の朝珠をつけるかは、
Author: 文·毛憲民写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 6 PDF HTML
-
9. 清·掐糸琺瑯梅瓶
掐糸(金属糸の象眼細工)琺瑯工芸は元の十三世紀末にアラブを経て中国に伝わり、中国固有の金属工芸と結びついて発展した。明の景泰年間(1450~56年)には、地に多く藍色を用い、巧みな配色や美しい色つやを持ち、後に「景泰藍」と珍重される作品を生んだ。景泰藍は純度の高い銅(わずかな例とたて金)で素地を作り、細い銅線を模様の輪郭線に象眼し、各色の琺瑯の釉薬を施して焼き上げ、最後にさらに磨き、メッキを施して
Author: 文·張栄 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 7 PDF HTML
-
10. 遼·鎏金水月観音像
観音菩薩は、中国では民間の信仰が最も厚い仏である。観音は梵語の音訳で観世音、観自在などともいわれ、中国古代の翻訳家が創造した言葉だが、唐の太宗李世民の名を忌んで観音とした。苦難に会った衆生がこの仏の名を称えればそれを聞き、あるいはその苦難を観れば救いを差し伸べる大慈大悲の菩薩である。観音菩薩は本来、男の仏である。中国には千七百余年前の三国時代に伝わったが、仏教徒の心に親しみやすく、信仰を集めた。た
Author: 文·胡国強 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 8 PDF HTML