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Your search : [ author:写真·陸開蒂 劉世昭 文·劉世昭] Total 353 Search Results,Processed in 0.068 second(s)
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1. 仙境·黄山に登る
安徽省の南部に位置する黄山(標高一八四一メートル)は、松や石、雲や泉の四つの絶景で知られる天下の名峰だ。今から約二億年前の地殻変動により、現れた山である。明代の旅行家であり地理学者の徐霞客は、二度もここを訪れ、素晴らしい景色を前にこう感嘆した。「天下に名峰ありといえども、黄山には及ばない。ひとたび登れば、他の山なぞ目に入らぬのだ!」。多くの人々がそうであるように、私もかねてから強い憧れを抱いていた
Author: 写真·陸開蒂 劉世昭 文·劉世昭 Year 2001 Issue 5 PDF HTML
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2. シリーズ秘境 奉節の天坑と地縫
長江三峡は西から東に盟塘峡、巫峡、西陵峡とつづく中国の代表的な観光名所の一つだ。西は四川省奉節県の白帝城から始まって、東は湖北省宜昌市の南津関まで、全長一九三キロの天険である。毎年、数十万人の観光客が船で上り下りしてその峡谷美を堪能している。記者もカメラマンとして二度、三峡下りを楽しんだ。決して三峡マニアではないが、正直なところいつか三峡を歩き通してみたいと思っていた。幸いにも今回、その思いがかな
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1992 Issue 1 PDF HTML
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3. シリーズ秘境巫山·小三峡·双竜鎮
大漢を出て、全長二五キロのい巫山峡谷を抜けると巫峡入り口のλ一山県に着く。巫峡は長江三峡の二番目の峡谷。巫山県の東に、長江に北から流れこむ大寧河という河がある。陳西省に発して全長二〇〇キロ。巫漢県から長江流入口までの四五キロの峡谷を、澄んだ流れがうねうねと縫っている。「峡郡桃源」と昔の人が名づけたのもよく分かる。そこに上流から順に竜門峡、巴霧峡、滴翠峡と三つの美しい峡谷がある。小三峡といわれている
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1992 Issue 4 PDF HTML
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4. 巫峡―神女伝説をたずねて
大昌鎮から巫山県にもどったが、棧道は対岸の南岸にあるので巫山県を離れたあとは渡し船で河を横断する。そのまま流れに従って東に下れば巫峡にはいるわけだ。全長約四五キロの巫峡は紆余曲折し、両岸に次々と奇峰が現れる。その中でもよく知られているのが巫山十二峰だ。十二峰とは北岸の登竜、聖泉、朝雲、望霞(別名神女)、松轡、集仙の六峰、南岸の浄壇、起雲、上昇、飛鳳、翠屏、聚鶴の六峰。棧道を行くこと三〇キロで青石と
Author: 写眞·文 劉世昭 Year 1992 Issue 6 PDF HTML
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5. 興義―馬嶺河と万峰嶺
貴州省の省都から車に乗り、周囲を盤江が流れる貴州西南部に向かった。南へ十時間、自治州役所のある興義についた。今回の取材旅行の始まりである。盤江は中国第三の大河、珠江上流の総称だ。雲南省が水源で、貴州西南部のブイ族ミャオ族自治州を流れる南盤江、北盤江から成り立っている。二つの河は合流して紅水河となり広西に入る。昔、ここに牂牁(そうか)国があったので牂牁河と呼ばれた。『史記』『漢書』によれば当時は軍事
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 1 PDF HTML
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6. 歴史と文化の息づくまち 古風な中にもみなぎる生気
貴州省貴陽市から南へ二十九キロのところに完全に保存されている古い町·青岩鎮があり資料によると六百年余の歴史をもつという。貴州には古くから伝わる四つのことばがあって、一打鼓(金沙鎮)、二永新(湄潭鎮)、三茅台(有名な茅台酒の産地)、そして次に四青岩と続くように、青岩鎮は歴史上貴州に重きをなす四つの町の一つである。青岩は昔この一帯の経済文化の中心地であったことから、広西への通り道の頃の古い石畳が今もな
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 2 PDF HTML
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7. 安竜明朝最後の「国都」
興義市から車で国道三二四号線を東に走り、第二の目的地、安竜県に向かった。距離はわずか百キロだが、辺鄙な山地なので幹線道路とはいうものの未舗装のでこぼこ道で坂やカーブも多く山崩れの所もあって、三時間もかかった。安竜は地図でも簡単には見つからないが、歴史的には明朝の遺臣が小朝廷の「国都」にした地で、十八義士の物語も残っている。一六四四年、中国最後の封建王朝、大清帝国ができたが、打倒された明の桂王、朱由
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 2 PDF HTML
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8. 冊亨―プイ族の集落と芝居
安竜県を後にして、雲南省の昆明と広西チワン族自治区の南寧をつなぐ自動車道路を今回最後の取材地、冊亨県に向かった。道はやはり悪く、一〇〇キロ足らずなのに半日もかかった。この一帯はプイ(布依)族の集落で、私はまず秩壩鎮に行き、鎮長の岑さんの案内で板用寨の取材をした。ここのプイ族の家はほとんどが山を背に、川の近くに建っている。車を下りると、田んぼで村びとが稲刈りをしているのが見えた。小川の向こうの山の中
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 3 PDF HTML
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9. 太湖のシラウオ漁
五月二十六日は、中国五大湖の一つ、江蘇省は太湖のシラウオ漁が解禁になる日だ。前日から準備万端を整え、漁場で待機していた漁師たちは、この日午前八時を期していっせいに操業を開始する。記者は、昨年五月取材で蘇州を訪れたとき、同市から南四〇キロの湖岸にある呉県太湖郷に足を伸ばし、三日間漁船に乗って漁民と寝食を共にした。その模様をカメラとペンでつづってみよう。太湖郷は、典型的な漁村だ。人口一〇〇四八人のうち
Author: 写真 ·文 劉世昭 Year 1994 Issue 5 PDF HTML
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10. CD熱FM放送局も番組に
改革開放が進み、経済や文化が発達するにつれ、人びとの趣味も多様化し、高級化してきた。近年多くの都市でCD音楽のファンが急増しているのも、その現象の一つだ。病(やまい}こうじてファンからマニアに変身するのも、多くの趣味の行き着くところ。マニアたちはさらに、他人にはない、自分だけの独自性を追求しようという熱病にとりつかれ、類は類を呼んで「フィーバ―仲間」が自ずと形成されてゆく。CDに関して見ると、北京
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 8 PDF HTML