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Your search : [ author:写真·牛錫武 文·胡 萌] Total 15 Search Results,Processed in 0.075 second(s)
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1. 中国の子供たちへ愛の献金
中国共産主義青年団など五つの組織が一昨年から未成年の保護育成を助ける運動を展開、各界に協力を求めたのにこたえ、日本の友好人士杉山絹子さん(三四)がこのほど百万元(一元は約一四·五円)を寄せ「絹子救助基金」を設立した。この基金によって、北京、吉林の両市、山西、河南の両省などで特に貧しい未成年三百人の生活、就学上の困難を解決する活動が始められている。杉山さんは十年前、拓殖大学で中国人留学生侯小平(ホウ
Author: 写真·牛錫武 文·胡 萌 Year 1998 Issue 1 PDF HTML
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2. まぼろしの楼蘭
三日間捜し歩いて土垠(どぎん)を発見できなかったので、楼蘭に漢ののろし台を見に行くことにした。ロプノール西岸に沿う孔雀河の河床を南に向かう古道は、砂丘と溝の連続、そこに枯れた葦が倒れていて進路をふさぐ。場所によってはスコップで砂を掘るのだが、そうなると三十分かかっても車は五十メートルしか進めない。楼蘭まで十数キロの所で日が暮れてきたので、露営する。翌早朝、測量隊長の劉さんをキャップに徒歩で出発。ヤ
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 1 PDF HTML
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3. 嘉峪関と魏晋の古墓群
嘉峪(かよく)関は祁連山脈と黒山が接する谷間にあり、万里の長城の最西端に位置する関所としてよく知られている。古くからシルクロードの要地だった所で、明の洪武五年(一三七二)に大将軍馮勝がここに城関を築いた。その後、長城が造られて城関と接続、西の要塞として機能が整った。万里の長城にある城関の中でもっともよく保存されていて、内城、外城、瓮城、羅城と堀を備えている。われわれはヘリに乗って、城関から討頼河ま
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 2 PDF HTML
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4. 黒水国の古城遺跡
黒水国の遺跡は、以前テレビで空撮シーンを見て以来、ずっと行ってみたいと思っていた。こんど張掖(ちょうえき)に来て、この古城の場所を聞くことができ、さっそく出かけた。張掖の市街地から間もなく砂漠にはいって道を失い、いったん公路にもどったが、折よく出会った地元の農場長が熱心な人で、現場まで同行してくれた。黒水国の古城遺跡は南北が一五キロ、東西が一〇キロ。前漢以前に匈奴(きょうど)族がここに移住して小月
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 3 PDF HTML
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5. 賀蘭山の石刻岩絵
われわれは西夏王の陵墓を見たあと、道を北にとった。車は賀蘭山山麓の川ぞいの谷をガタガタと進む。この一帯は数年前の出水で道路がほとんど破壊されていた。散乱する石の上を、道を確かめながらそろそろと走っていく。三十分余でどうにか登山口についた。賀蘭山は険しい山だ。山道に踏みこむと、高低とりどりの崖が両側をふさいでいる。でこぼこ道に足をとられながら西に向かううちに少しずつ開けてきて、卵ほどの石がごろごろし
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 4 PDF HTML
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6. 白い古都―統万城
涼しいうちにと、夜が明ける前にわれわれは靖辺県城を出発した。砂漠の奥深くにある大夏国の古都が今回の目標である。紀元四世紀から五世紀にかけて、漢族の統一王朝、晋は日ましに勢いを失い、中国は「五胡十六国」といわれる大分裂時代にはいった。このころ匈奴民族の王赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)は自慢の鉄騎兵を率いて、大夏国を建国した。その領域は今の陝西省の秦嶺から北、内蒙古の黄河沿い地帯、山西省太原、臨汾の西南
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 5 PDF HTML
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7. 意地つ張り娘の李永慶さん
ここは陝西省(シヤンシー)秦嶺(チンリン)区域地質測量隊第二分隊の事務室。分隊長はさきほどから新しい人員をむかえいれる問題についてあれこれ思いをめぐらしていたが、どうも名案がうかばない。さわやかな秋日和だというのに、かれはうつとうしい氣持だつた。立つて窓を明けると、すがすがしい風が南山(ナンシヤン)から吹きこんできた。遠くつらなる秦嶺の山波を眺めるにつけても、そこでの仕事の困難が思いやられる。上級
Author: 路萌 Year 1959 Issue 9 PDF HTML
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8. 遼·鎏金水月観音像
観音菩薩は、中国では民間の信仰が最も厚い仏である。観音は梵語の音訳で観世音、観自在などともいわれ、中国古代の翻訳家が創造した言葉だが、唐の太宗李世民の名を忌んで観音とした。苦難に会った衆生がこの仏の名を称えればそれを聞き、あるいはその苦難を観れば救いを差し伸べる大慈大悲の菩薩である。観音菩薩は本来、男の仏である。中国には千七百余年前の三国時代に伝わったが、仏教徒の心に親しみやすく、信仰を集めた。た
Author: 文·胡国強 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 8 PDF HTML
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9. かの地にダリア赤く 罪の意識の40年関東軍老兵の懺悔行
八月十七日、瀋陽市郊外の北陵郷小含屯に、六十すぎの男がやってきて、背よりも高いとうもろこしを分けて地面にぬかづき、花を捧げ、合掌して涙を流していた。四十二年前、召集されて関東軍の通信兵として、この村にいた日本人、角田さんだ。角田さんは、ことしの六月に、中国旅行社の遼寧分社に長い手紙を出していた。一九四五年八月二十八日の晩、私たち五四九部隊の約千人はこの村に来て、九五式というテントを張って宿営しまし
Author: 写真 王萌萌 Year 1987 Issue 12 PDF HTML
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10. 人民の教師石鈎先生
北京市黄城根小学校の明るい教室。直径七十センチの大きな地球儀を、子供たちがじっと見つめている。普通授業につかう地球儀の十三倍という大きさだ。この大地球儀で授業をすると、最後列に坐っている子にもはっきりと見えるのである。この大地球儀は石鈎(スーゴウ)先生がつくったものである。このような視覚教育用の教具を石鈎先生はもう四百三十余り作っている。さきごろ、わたしたちは石先生を訪ねて、先生がつくったいろいろ
Author: 司馬小萌 Year 1978 Issue 6 PDF HTML