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Your search : [ author:写真·李揚 王新民 文·沈興大] Total 31 Search Results,Processed in 0.089 second(s)
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1. 古代文化が香る楠渓江流域
中国の南東部、浙江省永嘉県に楠渓江という川がある。以前から景勝の地として有名で、長い間その名に憧れていたが、最近、国家重点風景名勝区として整備開放されたので、この夏念願の初訪問をしてその河川美を堪能してきた。竹筏で川を下る楠渓江は北から南に向かって永嘉県を貫いており、多くの支流が木の枝のように張っている。その主流は全長一四五キロ、二つの大きな山脈の間を流れているので、流域は丘陵、台地、山間盆地と地
Author: 写真·李揚 王新民 文·沈興大 Year 1997 Issue 11 PDF HTML
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2. 1300年の大運河を行く 自転車で走破北京―杭州1800キロ①
子ども時代の夢から大江東に去り 浪は淘い尽くす 千古風流の人物あたかも一江(いつこう)の春(はる)の水(みず)の 東(ひがし)に向かいて流(なが)るるに似(に)たりこれらの中国詩の名句にもあるように、黄河、長江(揚子江)、淮河(わいが)、珠江など、中国の主要な河川はどれも西から東へ流れている。ところが、人口が密集する近海の富裕地区に、一つだけ南北に流れる大河がある。それは、北は首都北京を起点とし、
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1983 Issue 4 PDF HTML
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3. 北京城と大運河
古代の水源をたどる北京に柳絮(りゆうじよ)が舞いあがる時季、待ち望んでいた「大運河自転車の旅」ははじまった。自転車での取材旅行は、本誌でも初めての試みであるので、編集部の同僚諸氏、それに本誌の仕事を手伝っておられる日本人専門家の方がたが、賑やかに私たちを見送って下さった。俗に「木に根あり、水に源あり」といわれるが、大運河の源はどこにあるのだろうか。前回に説明申し上げたように、大運河は、各時代に何回
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1983 Issue 5 PDF HTML
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4. 北運河の起点―通州
六月十九日。朝六時にかけておいた目覚し時計がまだ鳴らないうちに、妻と娘、息子は起きていた。家族にとって私が出張するのは、もう別に珍しいことではないのだが、なにしろ、こんどは自転車での遠距離旅行である。そして北京の取材も一段落して、今日からいよいよ本格的に南下するというので、家族たちは、なんとなく名残り惜しい気持ちになったのだろう。「お腹が空いてはペダルを踏めませんよ」こういって家内は玉子を二ついれ
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1983 Issue 6 PDF HTML
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5. 夏の華北大平原
「水陸要会」の張家湾六月二十五日、中国の北方ももう夏だ。午前で通州の取材を終えて、昼食後はいい気分でひと眠りすることができた。目がさめると三時過ぎで、北京をたってからの一週間の疲れはすっかりとれていた。はね起きて、旅装をととのえ、自転車の空気も入れ直して招待所をはなれ、運河の次の重要な埠頭―張家湾へと向かう。時代の移り変ねりにつれて、北運河の堤防上にあった船の曳航路はなくなってしまった。加えてこの
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1983 Issue 7 PDF HTML
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6. 天子の渡し場―天津
七月二日午後二時、私たちは畳をつくっていた黄荘人民公社に別れを告げ、華北平原を約三〇キロほど走って、夕方、天津市内に入った。華北平原の東北に位置する天津は北京の隣接都市で、両市は一二〇キロしか離れていない。私も劉君も天津ははじめてではないが、市内に入って間もなく、方向がわからなくなってしまった。なにしろ、天津の通りは、左に右にとくね曲がっているし、つぎからつぎへと橋が待ちうけているのだ。北京の通り
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1983 Issue 8 PDF HTML
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7. 年画の里
時のたつのはじつに早い。天津にきてから、あっという間に十五日がすぎた。私たちの交通手段「飛鴿」ブランドの自転車は、手に入れてから三ヵ月になる。一日一五キロとして、およそ一四〇〇キロは走ったろう。それで天津を離れる前夜、製造元の天津自転車工場に立ちよって点検してもらったが、土ぼこりにまみれたチェーンを洗いおとし、油をさしただけで、ほかはどこも故障はなかった。七月十八日、晴。ラッシュアワーをさけて、朝
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1983 Issue 9 PDF HTML
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8. 水滸伝の英雄·林冲ゆかりの地
七月二十六日、日曜日。朝起きてみると、どんよりした空模様だ。五時四十五分、青県に別れをつげ、ひきつづき南下した。四キロほど走ったところで、果たして雨がぽつりぽつり降りだした。たいした雨ではなさそうだ。わたしと劉君は気にかけずにペダルを踏みつづけた。勢いよく自転車を進めていると、前方のさほど遠くないところに黒々とした雲がにわかに低く垂れこめてきた。すばやく自転車からとび降りて雨具を着けようとしたが、
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1983 Issue 10 PDF HTML
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9. スル国王客死の地―徳州
「金糸ナツメ」の里崔児荘に清代の大学者、紀昀(きいん)の郷里を訪ねたことは、すでに十月号で触れた。滄州市を発って一路西へと向かう道路の両側は一面の緑。それも、見わたす限りのナツメの果樹園がつづく。枝に小さなトゲが無数にはえたナツメの木が、緑の葉を風にそよがせている。道々いくつもの村村を通りすぎたが、どの村も緑したたるナツメ林の中にすっぼりと収まっているといった感じだった。幼少年時代を南方ですごした
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1983 Issue 11 PDF HTML
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10. 隋末農民烽起の古戦場
四女寺放水路管理所で一泊十月十一日、日曜。からりと晴れあがった絶好の秋日和。午前八時、徳州を後に新しい旅がはじまった。勝利橋を渡り、南運河の西岸の堤に沿って南下する。ペダルを踏む足も心なしか軽やかだ。南運河の堤防は、堤が高く、眼下を見下ろすと、少々胆が冷える。自転車は、まるで四、五階建のビルの屋上を行くようなもので、実は二人とも最初は内心ひやりとしたものだった。もっとも堤防は堅固でぶ厚く、幅も五、
Author: 文·沈興大 カメラ·劉世昭 Year 1983 Issue 12 PDF HTML