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Your search : [ author:写真·文 胡宝玉] Total 489 Search Results,Processed in 0.108 second(s)
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1. まぼろしの楼蘭
三日間捜し歩いて土垠(どぎん)を発見できなかったので、楼蘭に漢ののろし台を見に行くことにした。ロプノール西岸に沿う孔雀河の河床を南に向かう古道は、砂丘と溝の連続、そこに枯れた葦が倒れていて進路をふさぐ。場所によってはスコップで砂を掘るのだが、そうなると三十分かかっても車は五十メートルしか進めない。楼蘭まで十数キロの所で日が暮れてきたので、露営する。翌早朝、測量隊長の劉さんをキャップに徒歩で出発。ヤ
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 1 PDF HTML
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2. 嘉峪関と魏晋の古墓群
嘉峪(かよく)関は祁連山脈と黒山が接する谷間にあり、万里の長城の最西端に位置する関所としてよく知られている。古くからシルクロードの要地だった所で、明の洪武五年(一三七二)に大将軍馮勝がここに城関を築いた。その後、長城が造られて城関と接続、西の要塞として機能が整った。万里の長城にある城関の中でもっともよく保存されていて、内城、外城、瓮城、羅城と堀を備えている。われわれはヘリに乗って、城関から討頼河ま
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 2 PDF HTML
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3. 黒水国の古城遺跡
黒水国の遺跡は、以前テレビで空撮シーンを見て以来、ずっと行ってみたいと思っていた。こんど張掖(ちょうえき)に来て、この古城の場所を聞くことができ、さっそく出かけた。張掖の市街地から間もなく砂漠にはいって道を失い、いったん公路にもどったが、折よく出会った地元の農場長が熱心な人で、現場まで同行してくれた。黒水国の古城遺跡は南北が一五キロ、東西が一〇キロ。前漢以前に匈奴(きょうど)族がここに移住して小月
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 3 PDF HTML
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4. 賀蘭山の石刻岩絵
われわれは西夏王の陵墓を見たあと、道を北にとった。車は賀蘭山山麓の川ぞいの谷をガタガタと進む。この一帯は数年前の出水で道路がほとんど破壊されていた。散乱する石の上を、道を確かめながらそろそろと走っていく。三十分余でどうにか登山口についた。賀蘭山は険しい山だ。山道に踏みこむと、高低とりどりの崖が両側をふさいでいる。でこぼこ道に足をとられながら西に向かううちに少しずつ開けてきて、卵ほどの石がごろごろし
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 4 PDF HTML
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5. 白い古都―統万城
涼しいうちにと、夜が明ける前にわれわれは靖辺県城を出発した。砂漠の奥深くにある大夏国の古都が今回の目標である。紀元四世紀から五世紀にかけて、漢族の統一王朝、晋は日ましに勢いを失い、中国は「五胡十六国」といわれる大分裂時代にはいった。このころ匈奴民族の王赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)は自慢の鉄騎兵を率いて、大夏国を建国した。その領域は今の陝西省の秦嶺から北、内蒙古の黄河沿い地帯、山西省太原、臨汾の西南
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 5 PDF HTML
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6. 羊崇拝の山岳民族―チャン族
チャン(羌)族の村は、四川省の茂汶チャン族自治県に集中している。省都の成都からバスで五時間ほど。九頂山のふもとに開けるのが自治県の県都·茂汶。一帯は緑したたる深山と急流が流れ下る峡谷とが織りなす山村の風景。岷江の本·支流は四季をとわず豊かな水量に恵まれている。九頂山の山頂には夏でも雪が。チャン族の祖先は、紀元前四世紀末から十三世紀にかけての長い期間に、中国の西北部、今の甘粛省のあたりから、数次にわ
Author: 写真 胡宝玉 Year 1990 Issue 6 PDF HTML
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7. 食文化の旅 秦淮河風味の小吃
南京市内を流れる秦淮河は、遠く秦の時代に開削された運河。江南の貴族文化が欄熟した六朝の時代(三世紀初め~六世紀終わり)から、その両岸に高殿や酒楼が軒を並べ、明清の時代(十四世紀半ば~二十世紀初め)になってさらに栄えた。いまも南京で指折りの繁華街として、正月や節句には三十万入からの入出で賑わう。中でも夫子廟地区は、食文化の中心ともいうべきところρ古い歴史を誇る料亭、茶荘、酒楼、小吃(一品料理)店など
Author: 写真·文狄華 Year 1992 Issue 1 PDF HTML
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8. 揚州の三大料理
かつて日本の遣唐使が上陸した揚州。鑑真和上の生地であり、若き日の和上が修行した大明寺のある揚州長江に、揚子江という別名を与えるもとになった揚州。.「故人西のかた黄鶴楼を辞し、煙花三月揚州。に下る」という李白の詩心有名だ。揚州は遠く紀元前五世紀に呉王夫差が築いた町。唐代には江南随一の大都会として栄え、家々に鶴が飼われていたという。「腰に十万貫を纏い鶴に騎って揚州に下る」という詩には、大金を持った男が
Author: 写真·文秋華 Year 1992 Issue 3 PDF HTML
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9. 北京で味わえる地方料理東坡肉(浙江料理)
浙江省の料理としてよく知られているのが、この東城肉です。すでに900年以一f”の歴史をもつ名物料理。宋代の大文豪、蘇東披に由来する料理でもあります。左遷させられて杭州の地方官となった蘇東士皮は、西湖にf.手を築いて農地にかんがいし、人々に幸福をもたらしました。ある日、豚肉と紹興酒を贈られた東城は、家人にこれを料理して労働者に届けるよう言いつけます。家人は肉と酒を一緒に料理するものだと思って作ったと
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 6 PDF HTML
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10. 武昌の魚料理
誰でもょく知っている武昌魚。毛沢東が「長沙の水を飲み、武昌の魚を食べる」と詩に詠んだところから名を馳せるようになった。誰もが一度は食べてみたいと思う魚だ。武昌魚の名は千七百年以上も前の古書にも載っている。昔も今も、多くの詩人墨客が詩に詠んでほめたたえている魚である。学名は妨魚(トガリヒラウォ)。湖北省武昌の梁子湖でとれる。この湖と長江の間に短い川があるが、毎年秋になると、湖の魚は湖水とともに長江に
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 7 PDF HTML