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Your search : [ author:写真·文 狄華] Total 592 Search Results,Processed in 0.127 second(s)
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1. 食文化の旅 秦淮河風味の小吃
南京市内を流れる秦淮河は、遠く秦の時代に開削された運河。江南の貴族文化が欄熟した六朝の時代(三世紀初め~六世紀終わり)から、その両岸に高殿や酒楼が軒を並べ、明清の時代(十四世紀半ば~二十世紀初め)になってさらに栄えた。いまも南京で指折りの繁華街として、正月や節句には三十万入からの入出で賑わう。中でも夫子廟地区は、食文化の中心ともいうべきところρ古い歴史を誇る料亭、茶荘、酒楼、小吃(一品料理)店など
Author: 写真·文狄華 Year 1992 Issue 1 PDF HTML
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2. 北京で味わえる地方料理東坡肉(浙江料理)
浙江省の料理としてよく知られているのが、この東城肉です。すでに900年以一f”の歴史をもつ名物料理。宋代の大文豪、蘇東披に由来する料理でもあります。左遷させられて杭州の地方官となった蘇東士皮は、西湖にf.手を築いて農地にかんがいし、人々に幸福をもたらしました。ある日、豚肉と紹興酒を贈られた東城は、家人にこれを料理して労働者に届けるよう言いつけます。家人は肉と酒を一緒に料理するものだと思って作ったと
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 6 PDF HTML
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3. 武昌の魚料理
誰でもょく知っている武昌魚。毛沢東が「長沙の水を飲み、武昌の魚を食べる」と詩に詠んだところから名を馳せるようになった。誰もが一度は食べてみたいと思う魚だ。武昌魚の名は千七百年以上も前の古書にも載っている。昔も今も、多くの詩人墨客が詩に詠んでほめたたえている魚である。学名は妨魚(トガリヒラウォ)。湖北省武昌の梁子湖でとれる。この湖と長江の間に短い川があるが、毎年秋になると、湖の魚は湖水とともに長江に
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 7 PDF HTML
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4. 曲阜の孔府菜
最近私は、孔子のふるさと山東省曲阜を訪れ、孔府菜IIすなわち孔子の家に代々伝わってきた料理を賞味したばかりか、孔子第七十七代の孫娘である孔徳愁(こう·とくぼう)さんとそのこ子思の何達さんから、孔府菜の話をいろいろうかがつという幸運に恵まれた。孔府菜研究会の名誉主席であり、ご自身が美食家でもある孔さんのお話は、料理同様に含蓄に富んだものであった。「食(めし)は精(しらげー白い)なるを厭(いと)わず、
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 9 PDF HTML
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5. 海螺溝
中国で最大級の氷の滝が、四川省の西部、甘孜(ガンズー)チベット族自治州の瀘定(ルーディン)県にある。その土地の名を海螺溝(ハイルオゴウ)という。貢嘎山(ミニヤ·コンガ、海抜7556メートル)の東のふもと、海抜1000メートルの大渡河から海抜3000メートルのこの海螺溝に至る一帯は、氷河と原始林が交互に共生し、湯量たっぷりの温泉も出るという、すばらしい風景区だ。亜熱帯から寒帯に至る野生植物は2500
Author: 写真·文 狄華 Year 1993 Issue 5 PDF HTML
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6. 阿壩(アバ)草原の人びと
8月初めの成都は、たいへんな暑さだった。だが、西北へ直線距離にして約300キロの阿壩チベット族·チャン(羌)族自治州まで来ると、そこはまさに別天地だった。高山と峡谷が入り乱れ、その高度差は1500~3000メートル。気候の垂直分布もみごとに顕著で、わずか20日間の取材旅行中に、亜熱帯、温帯(そこにも、比較的暖かいところと、比較的寒いところがあった)、寒帯の気候と万年雪の積雪地帯を体験した。たった1
Author: 写真·文 狄華 Year 1993 Issue 10 PDF HTML
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7. 開封の宋菜
開封は、戦国時代の紀元前三六二年、山西にいた魏がこの地に都を移して以来、七つの王朝の都となり、それゆえに「七朝の古都」と呼ばれる。九六〇年宋(北宋)の都となってからは、長安、洛陽に替わる政治経済の中心として、大いに繁栄した。とくに宋は、この都の商業的繁栄に力を注いだ。従来の坊里制度を廃し、道路沿いに商店、料亭、茶店などを積極的に設けた。料亭は七十二軒もでき、「宋菜」と呼ばれる独自の料理が生まれた。
Author: 写真·文 狄華 Year 1993 Issue 10 PDF HTML
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8. 潮汕菜
広東省の潮州、汕頭(スワトウ)地方でつくられている潮汕菜は、中国四大料理の一つ、広東菜(粤菜=ユエツァイ)の分流。ほかにも、広州菜、客家(ハッカ)菜、海南菜などの分流があるが、いまいちばん好まれているのが、ここに紹介する潮汕菜だ。そのルーツは、遠く唐代にさかのぼる。唐宋八大家の一人に数えられる韓愈(七六八~八二四)が、仏骨を宮中に迎えようとした皇帝憲宗を諫めたため潮州刺史に左遷され、それとともに中
Author: 写真·文 狄華 Year 1993 Issue 12 PDF HTML
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9. 広東省石湾の置物陶器
石湾は広州から三十キロほどの所にある。昔から陶器作りが盛んで、その製品は国内をはじめ諸外国に輸出されている。とくに石湾の瓦は天下一品と評されてきた。しかし古い資料をみても石湾窯のことはあまり書いていないので、いつから陶器作りが始まったかはっきりしない。それでも、唐代には一定の規模で手工業生産が始まっていたことは確かだ。一九五七年と六二年に石湾と南海県から唐代の窯跡群が見つかり、石湾の陶器生産はその
Author: 写真·文 狄華 Year 1993 Issue 12 PDF HTML
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10. 戦史の語り部 漢の兵馬俑
一九八四年十二月、戦史に名高い江蘇省の古い都市、徐州にビッグニュースが……。それは、あるれんが工場が東郊の獅子山でブルドーザーで採土中に、地下に眠っていた二千余年も昔の楚国の兵馬俑が出てきたという大発見である。「俑(よう)」とは古代副葬品として用いた土偶·土人形のことで、考古学者らの慎重な発掘を経て、徐州兵馬俑は今のところ四つの歩兵俑坑と一つの馬俑坑から発見され、その総数は四千体以上に達する。これ
Author: 写真·文 狄華 Year 1994 Issue 3 PDF HTML