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Your search : [ author:写真·文 成衛東] Total 493 Search Results,Processed in 0.104 second(s)
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1. リースー族の里、維西県
梅里雪山を後に、私達は瀾滄江に沿って南にむかう予定にしていた。ところが、道路が山崩れで不通との情報が入り、徳欽県から中甸経由で維西県へと、ルートを変更することにした。維西県は、北は徳欽県に接し、東は中甸と川をはさんで向かいあう。全国唯一のリースー(傈僳)族の自治県だ。この地にはリースー族のほか、ナーシー(納西)族、チベット族も暮らしている。交通が不便なため、大部分の土地は今に至るまで外界との往来が
Author: 写真 文·成衛東 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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2. 白水台―ナーシー族の白き聖地
中甸の東南百十キロにある三坎は、迪慶チベット族自治州の中で唯一認められた「ナーシー(納西)族自治郷」だ。ここにはナーシー族の東巴(トンバ)教の聖地で、壮大な石灰岩段丘として名高い「白水台」がある。「白水台」の海抜は二千三百八十メートル。大昔の石灰質堆積物が雨水の浸食作用を受け、気の遠くなるような時間を経て変化した、神秘的な風景が目の前に広がる。「白水台」の面積は約三平方キロ。ナーシー族はここを「シ
Author: 写真 文·成衛東 Year 1999 Issue 7 PDF HTML
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3. 高原の輝く真珠「碧塔海」とラマ教寺院
迪慶(てきけい)高原に点在する湖や沼には「海」と呼ばれているものが多い。高地の水源が人々にとってどれほど貴重なものか、「海」という呼び名からもうかがえるようだ。中甸(ちゅうでん)県の県城(県の行政の中心地)から東へ二十五キロにある湖「碧塔海」もその一つ。昔から「高原の真珠」と呼ばれ、周囲に原生林が広がる自然保護区となっている。私達が原生林地帯に着き、丸木橋を渡ると、馬を連れた十数人のチベット族が待
Author: 写真 文·成衛東 Year 1999 Issue 8 PDF HTML
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4. チベット伝統工芸の里―奔子欄(ほんしらん)と尼西(にせい)
中甸(ちゅうでん)県の奔子欄(ほんしらん)郷はチベット族の伝統的服飾文化で名高い土地だ。ただし、村人たちは高価な伝統衣装をふだんは身につけることがない。今度の旅では幸いにも中旬県で開かれた第二回康巴(こうは)(チベット東南部の旧行政区画名)芸術祭の会場で、それらを目にすることができた。衣装類は、まさに土地の美と富の競演ともいうべき素晴らしいものだった。人類の歴史のなかで、服飾文化は重要な位置を占め
Author: 写真 文·成衛東 Year 1999 Issue 9 PDF HTML
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5. シーサンパンナ·ダイ族 水しぶきに祈り託して
熱帯雨林の緑がむせかえるような雲南省·シーサンパンナは、旅人の心を魅了する土地だ。そこに暮らす少数民族の一つがダイ(傣)族。ダイ族の暦で六月下旬から七月初め(太陽暦では四月中旬)は、新年の始まりにあたり、彼らは年中行事のうち、これを最も重視する。新年は、彼らの言葉で「サンカンビマイ」、通称では「水かけ祭り」とも呼ばれる。もともと「水かけ祭り」は、新年の行事のうちの一つだったのだが、独特の祭りが次第
Author: 写真·文 成衛東 Year 2000 Issue 6 PDF HTML
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6. 竹カゴに込めた愛を贈る日
ダイ(傣)族は、雲南省の十五少数民族の一つで、人口は百六万人、その九〇%以上が、北緯二五度以南、海抜五〇〇から一三〇〇メートルの低海抜地帯に住む。新平イ(彝)族ダイ族自治県内にある哀牢山のふもとには、その一支族である花腰ダイ人が暮らす。花腰ダイ人は、現在六万人、九五%がこの地域に住むという。伝説に登場する「百越」「滇越」は、花腰ダイ人の先祖であるといわれる。彼らはインドから伝わった仏教の影響を受け
Author: 写真 文·成衛東 Year 2001 Issue 7 PDF HTML
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7. 青空の下に広がる大タンカ
車がラサ西郊に十二キロほど進むと、ゴンウズェ山のふもとに、巨大なチベット式の建築群が見えた。チベット仏教の一派であるゲルク派四大寺の一つ、レプン寺である。チベットの歴史上、最大規模で、かつては一万人以上もの僧侶が暮らしていたレプン寺は、広く名前を知られている。毎年八月(チベット暦では七月)、レプン寺ではショトン祭りが開催される。ショトン祭りは、チベット語では、「ヨーグルト祭り」の意味になる。十一世
Author: 写真 文·成衛東 Year 2001 Issue 9 PDF HTML
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8. “バード·ウィーク” 北京の大学生が街頭でキャンペーン
四月一日から一週間は“バード·ウィーク”写真は北京師範学院生物学部の学生·教師。約五十名が20余種の鳥の標本、鳥類図鑑など鳥に関する書籍を持って“北京の銀座”·王府井へと繰り出した。“バード·ウィーク”活動の一環として、往来の人たちに鳥類保護の目的を知ってもらうため。個別質問も受けつけた。時間はわずか六時間。が、書籍を買った人は一万人、四千人が鳥類など野生動物保護のために寄付してくれた。活動はまず
Author: 写真 成衛東 Year 1987 Issue 7 PDF HTML
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9. いまは亡きパンチェンラマ最後の姿
パンチェン·オルドニ·チュキ·ギェルツェン大師は、今年一月二十八日夜、チベットのシガズェ市で急逝した。全国人民代表大会常務委員会副委員長、中国仏教協会名誉会長、チベット自治区の宗教指導者であった。一月九日、パンチェン大師は北京からラサに赴いた。このチベット行は、パンチェン大師の一大心願である、第五世~九世パンチェン·ラマの遺体合葬の霊塔の開眼式典を主宰するためであった。この霊塔は、「文化大革命」で
Author: 写真 成衛東 Year 1989 Issue 6 PDF HTML
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10. 海を渡ったヤオ族の子孫 アメリカからルーツを求めて
人はだれも、いったい自分はどこから来たか、自分の祖先はどこまでさかのぼれるのか、知りたいと思うときがあるだろう、かつて「ルーツ」というアメリカ映画が大きな話題になったこともあるように。昨年の初冬、趙富明さんを団長にアメリカ·ヤオ(瑶)人協会代表団一行が中国を訪問した。ヤオ人のルーツを求めて、雲南の勐臘、広西の金秀、広東の連南のヤオ族地区めぐりをしたのである。ヤオ族の先人は、秦·漢時代に長沙にいた「
Author: 写真 成衛東 Year 1990 Issue 4 PDF HTML