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Your search : [ author:写真·文 何平] Total 531 Search Results,Processed in 0.095 second(s)
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1. 中原文化の繁栄映す襄汾県の「社火」
春秋時代の強国の一つだった晋の故地に、往昔の中原文化の繁栄をしのばせる民族芸能が、今も盛んに行われている。旧暦正月十五日に行われる襄汾県の「社火(ショーフオ)」がそれだ。襄汾県は、襄陵、汾城の両県を合併したもので、山西省南部、汾河の中流に位置する。社火とは、祭りのときに民衆が自ら行う娯楽演芸一般を指すが、この地方の社火は極めてバラエティに富み、しかも内容が非常に充実しているというので、全国にも有名
Author: 写真·文 何平 Year 1999 Issue 2 PDF HTML
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2. 字体の変遷にも好資料 耀県碑林(陜西省)
中国の民間には、「どんな職業も開祖がなくちゃ」という俗説がある。確かに、神様の加護や業界の発展が得られるように、各業界は自分の開祖か守護神を祭っている。建築業の開祖は魯班、醸造業は杜康、茶道は陸羽である。医学界は孫思邈を開祖と奉じ、ここからも人々がどんなにこの隋·唐時代の名医を崇めてきたかが分かる。孫思邈(五八一~六八二)は陜西省耀県孫原郷の生まれで、一生を医薬研究にささげた。彼は博学の士であると
Author: 何平 Year 1997 Issue 2 PDF HTML
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3. 一山をおおう碑群 泰山と岱廟碑林(山東省)
山東省はむかし、斉あるいは魯と呼ばれ、長い歴史がある。泰山の南側にある大汶口遺跡とその東側にある竜山遺跡からも分かるように、五千年前に中華民族文化の発祥の地だった。省内にある碑石は主に泰安、曲阜、済寧、嘉祥などに分布しているが、量的には多く、中でも秦代と漢代の碑石は全国一と言える。美しくて壮大な泰山は「東岳」「岱(たい)宗」ともいう。山東省中部の泰安に位置し、標高一五四五メートル、中国五岳の筆頭で
Author: 何平 Year 1997 Issue 7 PDF HTML
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4. 北京孔子廟の碑刻
北京の安定門内に国子監街がある。市内で一番古い胡同(横町)の一つだ。路の両側は槐の木が立ち並び、道路は木陰で覆われる。胡同の東西両端と中央部に牌楼(鳥居形の門)がそれぞれ二つずつ建っている。典型的な中国建築の特色を備え、長い年月の風雨にさらされながらもしつかりとそこに立ちつづけてきた。北京市内でこれほどいくつもの牌楼を残している胡同はここ国子監街だけである。胡同の東端から西へ十分ほど歩いたところの
Author: 何平 Year 1998 Issue 3 PDF HTML
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5. 千唐誌斎博物館
洛陽市の五十キロ西に、南北を二つの小さな川にはさまれた新安県鉄門鎮という風光明美な町がある。青竜山と鳳凰山が向かいあい、古くから「闕門(けつもん)(宮門の左右に立つ高楼)」と呼ばれてきた。この鉄門鎮の西北に建つ千唐誌斎博物館が、その特有の価値と芸術的魅力によって多くの観光客や専門家を迎えるようになり、古い町に活気を与えている。鉄門鎮は、辛亥革命の元老の一人として有名な張鈁(ちょうほう)の故郷だ。千
Author: 何平 Year 1998 Issue 9 PDF HTML
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6. 中岳嵩山の漢三闕
河南省登封市にある「中岳」嵩山は、山東省の「東岳」泰山、陜西省の「西岳」華山、湖南省の「南岳」衡山、山西省の「北岳」恒山と並んで五岳と称されている。嵩山が中岳と呼ばれているのは、他の四岳に囲まれてほぼ中央に位置しているからだ。山体六十キロに及ぶ雄大な嵩山は、中原(古代、中国の中心とされた黄河の中下流地域)に横たわった巨竜のようで、「嵩山は臥すが如し」「眠れる竜」と言われる。古くから歴代の皇帝が巡幸
Author: 何平 Year 1999 Issue 1 PDF HTML
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7. 食文化の旅 秦淮河風味の小吃
南京市内を流れる秦淮河は、遠く秦の時代に開削された運河。江南の貴族文化が欄熟した六朝の時代(三世紀初め~六世紀終わり)から、その両岸に高殿や酒楼が軒を並べ、明清の時代(十四世紀半ば~二十世紀初め)になってさらに栄えた。いまも南京で指折りの繁華街として、正月や節句には三十万入からの入出で賑わう。中でも夫子廟地区は、食文化の中心ともいうべきところρ古い歴史を誇る料亭、茶荘、酒楼、小吃(一品料理)店など
Author: 写真·文狄華 Year 1992 Issue 1 PDF HTML
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8. 揚州の三大料理
かつて日本の遣唐使が上陸した揚州。鑑真和上の生地であり、若き日の和上が修行した大明寺のある揚州長江に、揚子江という別名を与えるもとになった揚州。.「故人西のかた黄鶴楼を辞し、煙花三月揚州。に下る」という李白の詩心有名だ。揚州は遠く紀元前五世紀に呉王夫差が築いた町。唐代には江南随一の大都会として栄え、家々に鶴が飼われていたという。「腰に十万貫を纏い鶴に騎って揚州に下る」という詩には、大金を持った男が
Author: 写真·文秋華 Year 1992 Issue 3 PDF HTML
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9. 北京で味わえる地方料理東坡肉(浙江料理)
浙江省の料理としてよく知られているのが、この東城肉です。すでに900年以一f”の歴史をもつ名物料理。宋代の大文豪、蘇東披に由来する料理でもあります。左遷させられて杭州の地方官となった蘇東士皮は、西湖にf.手を築いて農地にかんがいし、人々に幸福をもたらしました。ある日、豚肉と紹興酒を贈られた東城は、家人にこれを料理して労働者に届けるよう言いつけます。家人は肉と酒を一緒に料理するものだと思って作ったと
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 6 PDF HTML
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10. 武昌の魚料理
誰でもょく知っている武昌魚。毛沢東が「長沙の水を飲み、武昌の魚を食べる」と詩に詠んだところから名を馳せるようになった。誰もが一度は食べてみたいと思う魚だ。武昌魚の名は千七百年以上も前の古書にも載っている。昔も今も、多くの詩人墨客が詩に詠んでほめたたえている魚である。学名は妨魚(トガリヒラウォ)。湖北省武昌の梁子湖でとれる。この湖と長江の間に短い川があるが、毎年秋になると、湖の魚は湖水とともに長江に
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 7 PDF HTML