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Your search : [ author:写真·単世平 文·劉文錦] Total 7 Search Results,Processed in 0.143 second(s)
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1. 清遠樓
河北省張家口市の宣化区は中国北部の由緒ある町で、文化財や旧跡も少なくないが、なかでも清遠樓が最も有名である。清遠樓は宣化城内を南北に走る大通りの北端にあって、建造開始は明代の成化十八年(一四八二)、清代に大改修をしたが、建物の骨格には明代の建築技法をそのまま採用した。その姿は独特の風格をもち、建築史上すこぶる貴重なものとなっている。樓は高さ一七メートル、煉瓦を七·五メートルの高さに積んだ台座の上に
Author: 写真·単世平 文·劉文錦 Year 1994 Issue 12 PDF HTML
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2. 由緒ある芸能の村なればこそ 河北省宣化県の趙川村に演劇学校
この写真は、張家口市で上演された晋劇の「穆桂英天門陣を大いに破る」の一場面です。衣装も化粧も立派なものですが、どこかあどけないのは、大きくても十四、五までの子供だからです。本式の修業をして真剣に演じるので、山西、内蒙古、河北など各地で賞賛され、ひっぱりだこなのです。この小俳優たちを育てているのは、ある農村の演劇学校です。正式には河北省宣化県趙川戯劇学校といいますが、演劇や舞踊や美術の学校は大体大都
Author: 写真 単世平 Year 1988 Issue 4 PDF HTML
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3. 「計画出産後進地区」の汚名返上 お達しをやめて 自己教育で
上の写真右端の人、よーくごらんください。背中に赤ん坊、よちよち歩きの子供の手を引き、エプロンの下は、なんとスイカのようなおなか、まさに臨月。顔にはお白粉を塗って……。何かこっけいな口上でも言っているのでしょう、集まっている大人も子供も、おかしくてたまらない、といった表情です。この人、河北省は張家口市張家坊村の車屋任得旺さん。旧正月の出し物の一つ、素人演芸に一役買って出て、計画出産の実行をおもしろお
Author: 写真 単世平 Year 1988 Issue 11 PDF HTML
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4. 塞外の街·宣化でブドウ祭り対外開放 商談もさかんに
宣化―河北省の北部、張家口に近いところ。ブドウの産地として有名です。昨秋、ここで第一回のブドウ祭りが開かれました。宣化のブドウは、七、八百年も前から栽培されているといいます。言い伝えによれば、元代、西域からやってきた一人の僧侶がブドウの苗木を携えてきて、慈恩寺の庭に植え、実を結んだブドウを仏前に供えた。のちに、次第に土地の人たちにも受け入れられ、広く栽培されるようになった……と。宣化のブドウの栽培
Author: 写真 単世平 Year 1989 Issue 1 PDF HTML
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5. 少年サッカ一のまち張家口優秀な選手を輩出
明るく無邪気な笑顔を見せるのは、張家口市少年サッカーチームの子どもたち。勝利の喜びだ。ナショナルチームは依然として不本意な試合結果ばかりだが、少年チームのレベルアップには目を見張るものがある。将来に期待がもてそうだ。これまでサッカーの重点は、ナショナルチームの“精鋭化”のみに置かれていたが、ようやくその壁を突破、少年チームの強化に乗り出した。数年前に少年選手二人を英国に二年間サッカー留学させ、試合
Author: 写真 単世平 Year 1990 Issue 5 PDF HTML
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6. “第二のふるさと”で記念植樹張家口への思いはいまも……
満面に笑みを浮かべながら、スコップや拳を振り上げて子どものような中老年? の男性に女性―五月一日から五日にかけて、日本の「塞外文化交流訪中団」が河北省の張家口を訪問、三日に風光明媚な水母宮で記念植樹をした時撮ったのが上の写真。訪中団は、日本の民間組織「張家口会」の会長田中完氏を団長に総勢十八人。張家口を訪れ、王昌漢市長や艾潤飆副市長、市民の熱烈歓迎を受けた。古希を過ぎた田中氏は、四十数年前の張家口
Author: 写真 単世平 Year 1990 Issue 9 PDF HTML
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7. 河北涿鹿に築く「黄帝城」中華民族のふるさと再現へ
中華民族は五千年の文明史をもち、黄帝軒轅(けんえん)氏は華夏民族の首領で文明の祖である。史料では、黄帝軒轅氏は約四千七百年前の氏族社会の人。北京の北西一五〇キロ、河北省張家口市の涿鹿あたりでは当時は樹木が茂り、山水に恵まれ、気候快適で黄帝族·炎帝族·九黎族が前後してこの地を選び住む。黄帝は「涿鹿の戦い」で、北上して反乱を起こした九黎族首領·蚩尤(しゆう)の軍を撃破した。「阪泉の戦い」のあと黄帝族と
Author: 写真 単世平 Year 1994 Issue 9 PDF HTML