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Your search : [ author:写真·劉世昭 文·若虹(ルオホン)] Total 78 Search Results,Processed in 0.238 second(s)
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1. 機構改革で国家公務員を半減
最近北京では、多くの政府機関の建物の前で三々五々仲間と一緒にカメラに収まる公務員たちの姿をよく見かける。今年から始まった国務院(政府)の機構改革で調整·撤廃される部門の姿をとどめておこうという記念撮影である。中高年の公務員たちも、長年務めた政府機関が消え去るのを惜しみながらも、新しい職場をあっせんされればそれに従うと機構改革の重要性に理解を示す。二十歳を過ぎたばかりの女性公務員は自信たっぷりに言う
Author: 写真·劉世昭 文·若虹(ルオホン) Year 1998 Issue 7 PDF HTML
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2. 中国一の雑貨市場で栄える義烏
義烏(イーウ)市は浙江省の中部にある人口六十万の地方都市である。この十数年来見る見る発展を遂げ、中国最大の雑貨卸し売り市場を擁する町になった。卸し売り市場の名は「中国小商品城」。五十万平方メートルの広大な売り場で二万六千の屋台店が三万種余りの品物を商っている。毎日平均十五万人の客が商品の買い付けにやって来るという。義烏人は約十万人が全国各地で商業に従事しており、また各地の二千を超える商店やメーカー
Author: 写真·馮進(フォンチン) 文·若虹(ルオホン) Year 1998 Issue 4 PDF HTML
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3. 友好のニシキゴイ108尾を贈る
昨年の中日国交正常化二十五周年に当たり、新日本平和貿易の平沢要作社長は、両国の友好がいつまでも続くようにとの願いを込めて、日本の“国魚”ニシキゴイ百八尾を中国に贈った。十一月二十五日、北京の釣魚台(ティアオユータイ)国賓館で日本側のニシキゴイ寄贈団百六十余人と中国側の各界人士が出席して贈呈式を挙行。参会者たちは、特に中国の指導者に贈られ、庭の池に放たれた二十五歳の上等なニシキゴイ八尾を鑑賞した。国
Author: 写真·馮進(フォンテン) 文·若虹(ルオホン) Year 1998 Issue 4 PDF HTML
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4. さらに25年の友好願い大合唱
中日国交正常化二十五周年を記念し、さらに二〇二二年までの二十五年間の平和と友好を約束する中日青少年合唱コンサートが昨年のクリスマス、北京の児童劇院で催された。日本からは創立四十五年の歴史を持つ東京少年少女合唱隊の五十三人、中国側は北京第十一中学(中·高校)合唱団から同数のメンバーが参加。中国の歌『大海』を中国語で、日本の歌『赤とんぼ』を日本語で歌い、見事な合唱を披露した。この日招待されて会場をうず
Author: 写真·王恩普(ワンエンプー) 文·若虹(ルオホン) Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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5. 「第二の長安街」平安大道の建設進む
北京ではこのところ、「第二の長安街」ともいわれる平安大道の建設が進められている。長安街と故宮を挟んで平行に、市の中心部を横断する七キロに及ぶ幹線道路である。北京市の総合都市計画の一環として昨年十二月十日に着工、来年九月に完工の予定という。西は第二環状線から東は東四の十条立体交差橋まで、途中平安里、北海、地安門などを通る在来の道路を拡幅して整備される。この通りは一番広い所でも二十一メートル、狭い所は
Author: 写真·王恩普(ワンエンプー) 文·若虹(ルオホン) Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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6. 中国古代音楽の“生きた化石”
雲南省麗江(リーチアン)に住むナーシー(納西)族の老ミュージシャン三十人余りがことし二月、北京の音楽ホールで唐·宋時代から伝わるナーシーの古楽を演奏して聴衆の熱烈な喝さいを浴びた。演奏された『八卦(はっけ)』『浪淘沙(ろうとうさ)』『山坡羊(さんはよう)』『歩歩嬌(ほほきょう)』などはみな唐·宋時代の曲である。唐詩や宋詞は節をつけて歌われていたが、長い年月のうちに音譜は失われ、近代に入ると中国文化
Author: 写真·李明放(リーミンファン) 文·若虹(ルオホン) Year 1998 Issue 9 PDF HTML
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7. 修復成った長城の居庸関
「万里の長城」にある名高い関所の居庸関(チューヨンクアン)の修復工事が完了し、この春公開された。居庸関は北京市の昌平(チャンビン)県内に位置し、市の中心から西北五十キロ余りの所にある。昔から華北平原を外敵から守る障壁で、北辺に開く門でもあった。両側には緑深い高山が迫り、関溝と呼ばれる二十キロに及ぶ深い渓谷になっている。古来、兵家はこの天然の要害を争った。秦の始皇帝が長城を築いた時、徴用された人夫や
Author: 写真·成大林(チョンターリン) 文·若虹(ルオホン) Year 1998 Issue 10 PDF HTML
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8. 奮闘の日中勢。期待のビアズリは足の故障がたたって芝生にダウン
「一九八四年北京国際マラソン」が行なわれたのは十月十四日。「馬拉松(マラソン)」の“外来語”も北京市民の耳になじんだためか、沿道には百万をこす大観衆が人垣をつくって盛んな声援をおくった。先頭集団がくずれたのは、後半の二六キロすぎから。前三門大街に入ってからは、日本の伊藤国光、喜多秀喜の文字どおり“一騎打ち”に(写真下)。最後、ゴール寸前で、ベテラン喜多が伊藤をふりきって、二時間一二分一六秒の好タイ
Author: 写真 劉世昭 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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9. よみがえる“竜の首”。山海関長城の修復工事がスタート。
東は山海関から西は嘉峪関まで、延々一万二千華里(六千キロメートル)にわたって連なる「万里の長城」が、東に五キロほどさらに延びることになった。明代の名将·戚継光が築いた山海関は、長大な竜にたとえられる長城のいわば頭にあたる部分。燕山山脈の尾根づたいに延びた長城は、ここ山海関で首を南に曲げ、渤海に臨んで盤踞するかっこうになっている。長城の中でも最も壮大で険峻な景観として、古来、「天下第一関」の名で呼ば
Author: 写真 劉世昭 Year 1985 Issue 9 PDF HTML
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10. 浙江省南部の石の町 五雲鎮
五雲鎮の町は、浙江省南部の山地にあり、縉雲県の県庁の所在地である。好渓という小さい川が町をつらぬいて流れている。いまは、杭州と温州を結ぶ陸上交通の要地になっているが、もとは小さな村落だった。唐代の天宝年間(七四二~七五五)に、この上空に五色の雲が現れ、ただよって行く雲の下に美しい楽の音がひびき、草木がいきいきと生長したので、人びとはここに町をつくり、五雲と名付けたといわれる。ここは凝灰岩の産地だ。
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 7 PDF HTML