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Your search : [ author:人民中国雑誌社社長 于明新] Total 23 Search Results,Processed in 0.094 second(s)
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1. 中日の文化交流に尽くした白土吾夫先生を悼む
半世紀の長きにわたり、中国と日本の文化交流に尽力されてきた「日本中国文化交流協会」代表理事·専務理事の白土吾夫先生が、去る七月十九日、亡くなられました。私はここに、人民中国雑誌社の全社員を代表し、謹んで哀悼の意を表します。白土先生は、一九五六年に「日本中国文化交流協会」の創立に参加して以来、一貫して中日文化交流のため心血を注いで来られました。『人民中国』に対しても常に、特別なご配慮をいただき、→九
Author: 人民中国雑誌社社長 于明新 Year 2006 Issue 9 PDF HTML
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2. 『人民中国』杯は中村朱杏選手に!第三回武術太極拳全日本大会
「わたしが『人民中国』杯をいただくなんて、夢のようです。とっても感激しています。これからもいっそう太極拳の鍛練に励むとともに、中国のことについてもいろいろ勉強したいと思います」受賞式でわが社から贈られた『人民中国』杯を手に、中村朱杏選手(大阪太極拳協会所属)は頰を紅潮させていた。中村さんは、自選太極拳B組陳式太極拳の優勝者。日本で太極拳が盛んになり始めたのは十年ほど前から。現在、その愛好者は五十万
Author: 写真 于明新 Year 1987 Issue 1 PDF HTML
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3. 率直な意見交換が相互理解に通じる
「この数年、中日関係は難しくなってきた。問題があればあるほど、なるべく早く日本を訪問しなければならない。日本の政界、財界、マスコミ界の友人たちと率直に意見を交換し、誠実に交流を進めたい」―趙啓正主任を団長とし、蔡名照副主任を副団長とする国務院新聞弁公室訪日代表団は、東京に到着した直後、日本の友人たちに対し、今回の訪日の目的をこう表明した。中日間の「YKK」問題Y(靖国神社)、K(国民感情)、K(海
Author: 于明新=文·写真 Year 2005 Issue 2 PDF HTML
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4. なぜ首相の靖国参拝に反対なのか歴史を鑑とし、平和な未来を築こう
「靖国神社の入り口には二つの石灯籠があり、十六枚の青銅版のレリーフがはめ込まれています。その大部分は中国に関係したもので、旧日本軍の台湾占拠や東北部占領の場面を描いています。私の心が特に痛んだのは、日本兵が長城の上で銃を上げて歓呼している姿を見たときです」と日本在住の青年·王立峰さんは語る。中国ではほとんど全ての人が、靖国神社について王さんと同じように感じている。日本にはたくさんの神社があるが、靖
Author: 于明新=文·写真 Year 2005 Issue 8 PDF HTML
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5. 世界の屋根に初めて鉄道が走った
「世界の屋根」とか「地球の第三極」とか呼ばれる青海·チベットの青蔵高原。二百五十万平方キロに及ぶこの大高原は、平均海抜が四千メートルを超す。 この高地に、今年七月一日、初めて鉄道が開通した。青海省西寧とチベット自治区のラサを結ぶ青蔵鉄道である。チベットには鉄道がないという時代は、ついに終わった。
Author: 于明新 馮進 于文 Year 2006 Issue 11 PDF HTML
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6. 中国豪華列車の旅
Author: 撮影 劉世昭 于明新 Year 1985 Issue 8 PDF HTML
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7. 静岡県の三誌普及活動
昨年十一月十五日、静岡市北ワシントンホテルでの「日中国交正常化十五周年·静岡県三誌普及会創立十周年記念祝賀会」において、中国三誌(『人民中国』『中国画報』『北京週報』)の普及に尽くした人びとが表彰された。三誌普及会の創立十周年祝賀会参加と友好交流のため訪日·出席した「中国三誌代表団」から、普及功労者に表彰状と記念品が贈られると、大きな拍手があがった。静岡県三誌普及会が発足したのは一九七七年。県下の
Author: 本誌駐東京記者 于明新 Year 1988 Issue 2 PDF HTML
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8. 曲阜·孔子ゆかりの楷の木
歴史の町·足利市を訪ねて「日本最古の学校」「日本最古の総合大学」といわれる足利学校(足利市昌平町)を見学したのは八年前のことである。学校はもちろんのことながら、遺跡図書館の右脇に生えていた「栃木県天然記念物」である「楷(かい)の木」が深く印象に残った。このほど足利市で開かれた「楷の木シンポジウム」に参加するため、足利学校を再訪した。例の楷の老木は、晩秋に葉を黄色く染めていた。構内の一角で済寧市·足
Author: 本誌東京支局長 于明新 Year 1995 Issue 2 PDF HTML
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9. 坊津町を訪ねて
鹿児島県坊津町での取材を終えて東京支局にもどると、ポストボックスにたまった郵便物の中に、千葉県柏市の愛読者·和田栄さんからのお手紙があった。「于さんが坊津町秋目にある鑑真記念館へ取材なさったことは、記念館に勤めている同級生だった野口さんから連絡を受けとりました……」という内容であった。本誌新企画「遣唐使が歩いた道」の担当記者·曹復君の依頼で、鑑真和上が日本に上陸した秋目の取材のため坊津町に行ってき
Author: 本誌東京支局長 于明新 Year 1995 Issue 3 PDF HTML
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10. 後楽寮を訪ねて
江戸時代初期に明の遺臣朱舜水の指導で杭州の西湖を模して造られた中国ゆかりの庭園小石川後楽園に足を運び、ここで中日交流の歴史を味わいながら、心ゆくまで楽しいひとときを過ごす文人墨客が昔から多かった。時代の流れに伴い、中日両国の交流につながりの深かったこのあたりは、日中友好会館の建設で大きく変貌している。中日両国政府合意の国家的事業としての日中友好会館は、各界、各層の人びとの支援を得ながら、この名園に
Author: 本誌東京支局長 于明新 Year 1995 Issue 6 PDF HTML