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Your search : [ author:丘桓興=文·写真] Total 13 Search Results,Processed in 0.099 second(s)
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1. 「囲屋」に暮らしたあのころ
私のふるさと、広東省の蕉嶺県藍坊鎮藍坊村は、山々に抱かれた客家(はっか)の住む村である。渓峰河という河川が、村の中をくねくねと流れている。山に寄りそうようにして建つ民家や学校を合わせれば、外観はまるで南北方向に置かれた、縁起もののヒョウタンのようである。そのヒョウタンの東北角にある「鉅美堂(きょびどう)」(鉅美とは、先祖·丘鉅美を指す)は、いまから百四十年前に建てられた、わが一族の旧家である。正門
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 1 PDF HTML
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2. 太極図かたどる池とともに
わが旧家、広東省·藍坊村の「鉅美堂(きょびどう)」の前に、半円形の池がある。直径約四十メートル、水深約一メートル。池端には石が積み重ねられ、遠望すると一列一列、珠玉がはめ込まれているかのようである。その東側は門前の平らな道で、西側は菜園である。菜園にカボチャを植えた人がいて、水上の棚にはカボチャがぶらりと垂れ下がっていた。北側の野原にはザボンの木があり、秋になると黄金のザボンがたわわに実った……。
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 2 PDF HTML
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3. 一族を見まもる「風水林」
客家(はっか)の民家は、山沿いにあっても、田畑のそばにあっても、家屋の後ろに木々や果樹、竹を植える習慣がある。木々の種類は、ほとんどが旺盛な繁殖力をもつマングローブやクスノキ、ハシバミ、マツなどである。いずれも亭々としてそびえ、枝葉が茂り、その根を張り巡らせている。いったん植えられると、おのずと生い茂る樹木なのだ。とくに祠堂(祖廟)の後ろの林は、子孫の幸せを見守り、一族の繁栄をかなえるとされた「風
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 3 PDF HTML
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4. 古寺の小学校に学んで
私が学んだ「藍坊小学校」は、広東省蕉嶺県·藍坊村の東南に位置する小山のふもとにあった。ここは、もともと千年の古刹·保慶寺だった。県史によれば、宋の時代、この村には藍奎(らんけい)という文人がいた。彼は読書をよくし、書にすぐれていた。宋の哲宗·元祐三年(一〇八八年)、藍奎は都に赴き、「進士」(科挙制度における最高の試験「殿試」に合格したもの)となって、都で役人勤めをしていた。その清廉剛直な気質やすぐ
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 4 PDF HTML
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5. 神やどる橋のある暮らし
授業が終わり、帰宅してカバンを置くと、水牛を河へ水浴びに連れて行った。夏から秋にかけての毎日の日課であった。水牛が水浴びをしている間は、友だちとともに、傍らにある木橋の上で遊んだものだ。村を流れる渓峰河には、合わせて六本の橋があった。遊んだ橋は、アーチが二つある木橋である。高さは約五メートル。全郷一の高さをほこり、「高高橋」と呼ばれていた。橋床の板は(前と後ろで)長さが異なり、短い方は五メートル、
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 5 PDF HTML
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6. 辛くも楽しい深田の思い出
少年時代のこと、母に連れられて「弓背坑」と呼ばれる湖洋田(深田)へ行った。田に埋め込んだ松を足場として立ち、田植えをした辛さが今も忘れられない。湖洋田は、山坑田(山間の水田)の一種である。湧き水の源にあり、年中、水浸しになっていた。水の冷たい泥湿地であり、底が深く、湖や洋(うみ)を思わせる。そのため「湖洋田」と名づけられていた。深さは一メートルほどだが、水源あたりの田などは深さが二メートルに達する
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 6 PDF HTML
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7. 愛に支えられた中学受験
一九五三年六月、小学校の卒業式で、私たち同級生四十数人は講堂(元の保慶寺の仏堂)におごそかに立ち、李仕俊校長の激励のあいさつを聞いていた。「みなさん、これからはよく復習をして、中学校に進学するよう励んでください」。(当時は、九年制義務教育がまだ普及していなかったからだが)、つづいて李校長から卒業証書が手渡され、卒業式は幕を閉じた。その後、まもなくして中学入試を迎えた。藍坊郷の生徒はもともと、県庁所
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 7 PDF HTML
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8. 貧しき中に温もりのある寮生活
一九五三年九月、広東省·高思郷にある「高思僑興中学」(略称·僑中)の入学日に、私たち四人の同級生は連れだって行った。私は、かつて母の嫁入り道具だった大きな赤いトランクをもらい、そこに必需品を詰め込んだ。しかし、まだ空きがあったので、いとこの丘梅興の小さなトランクもそこに入れた。そして、この大きなトランクを縄を使って竹ざおに組み、梅興と二人で担いで向かった。いとこの福蓮がそれを見るなり、「二人して赤
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 8 PDF HTML
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9. 楽しかった藪の中での勉強
広東省蕉嶺県高思にある「僑興中学」での三年間は、ずっと「回」字形の校舎の南東隅にある大教室で授業を受けた。そこはどこの教室より明るく、最も暖かい教室であった。当時わたしは、背が低かったので、いつも最前列に座っていたため、一生懸命に授業を聞いた。先生が質問するたびに、すぐに手を挙げて、先を争って答え、よく褒められた。わたしは教科書以外の課外読物が好きだった。授業が終わるベルが鳴ると、教室を飛び出し、
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 9 PDF HTML
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10. 二次葬の塚が見守る課外活動
広東省·高思郷の「僑興中学」での暮らしは辛かったけれど、課外活動はとても楽しく、活発だった。朝六時起床。身じたくを整えると、東の山の坂下にあるバスケットボール·コートへ急いで向かった。朝の体操をするためだ。不思議なことに、体育の黄国椿先生はコートの北側にある墓の上に立って体操をするのだった。客家人には「二次葬」をする習慣がある。人が亡くなり土葬してから四、五年後、その身内の者が棺(ひつぎ)を開いて
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 10 PDF HTML